デイヴィッド・ボウイを翻訳する(9): おぉ我がテレビ受像機(型番C-15)よ



毎晩8時半とか9時になると オイラの目と耳はあいつに釘付け あいつのサウンド機能は 4チャンネルを超えた マルチチャンネル (5.1CH以上にもカスタマイズ可能) しかも画面サイズはド迫力の50インチ そんでもって映像は ホログラム技術を駆使した マジでリアルな3Dときたもんだ どーだ、スゲェだろ それがオイラのテレビ受像機(型番C-15)

製品名「Oh!MyTV C-15 (愛称:おまティビC-15)」

こいつがオイラの一番の友達さ ある日オイラはカノジョをウチに連れ込んだ でも二人の会話は超盛り上がんない 彼女があんまり退屈そうなんで オイラはついテレビをつけちまった そしたら彼女ってば おまティビC-15を見た途端 イキナリ

イっちゃった

ってかマジで その、彼女、這って、そう、這って

オイラの、あの、おまティビCん中に ずんすんずんずんって 這って入って行っちゃんたんだ!

マジでリアルな3D おまティビC-15 ま、ま、まるで悪魔じゃん

おまティビC-15

それからというもの オイラ毎晩毎晩祈ってるのさ おまティビC-15の前に座ってさ

『よぉ、頼むよ オイラの彼女を送り返してくれよ 彼女はオイラの理想の風船人形 ゆくゆくはオイラの看板番組になる女 オイラにゃあのコが必要なんだよ』

でもあのテレビ受像機の野郎ときたら 目ぇパチクリともせず オイラを睨み返すだけ マジでムカつく3D

おまティビC-15

だけどオイラこう思うんだ こういう風に毎日毎日祈ってれば ある晩いつかきっと オイラもテレビん中に入り込んで (テレビ放送終了後のカラー調整画面の) 「虹」の上にふわっと飛び降りて そこで彼女と巡り会えるんじゃないかなんて たぶん彼女はあのテレビ野郎の腹ん中に居座って どでかい視聴率を稼いでやがるんだ くそっ! マジでムカつく3D

おまティビC-15

((はい、ここで本楽曲は長調から短調へと一時的に「転調transition」します。 この部分は本楽曲の「移行部transition」=「ABメロからサビへの橋渡し部」でもあります))

トランジション Transition トランスミッション Transmission

トランジション=転換/移行/変革 トランスミッション=送信/放送/番組

((ここからサビ))

おおオイラのテレビ受像機(型番C-15) おまティビC-15 ティビC-15

おまティビC-15 お、お、 ティビC-15

おまティビC-15 お、お、 ティビC-15

Oh oh oh oh oh oh oh oh oh oh (Whispered) TVC 15 Oh oh oh oh oh oh oh oh oh oh Oh oh oh oh oh oh oh oh oh oh Oooooo-oo Up every evening 'bout (ten) half eight or nine I'll give my, complete attention to a very good friend of mine He's quadrophonic, he's a, he's got more channels So hologramic, oh my TVC one five I brought my baby home, she, she sat around forlorn She saw my TVC one five, baby's gone, she She crawled right in, oh my my She crawled right in my So hologramic, oh my TVC one five Oh so demonic, oh my TVC one five VERSE Maybe if I pray every, each night I sit there pleading "Send back my dream test baby, she's my main feature, ah" My TVC one five, he, he just stares back unblinking So hologramic, oh my TVC one five One of these nights I may just Jump down that rainbow way, be with my baby then We'll spend some time together So hologramic, oh my TVC one five My baby's in there some place, love's rating in the sky So hologramic, oh my TVC one five CHORUS Transition Transmission Transition Transmission Oh my TVC one five, oh oh, TVC one five Oh my TVC one five, oh oh, TVC one five Oh my TVC one five, oh oh, TVC one five Oh my TVC one five, oh oh, TVC one five VERSE Oh oh oh oh oh, oh oh oh oh oh (3 times) CHORUS Oh my TVC one five, oh oh, TVC one five (repeat 7 times and fade)

訳詞解説:

なぜか「TVC15=テレビの15チャンネル」という誤解が流布しているらしい(確か渋谷陽一がNHK FMラジオの番組でそのような迷妄発言をしたことがあったのだ)。だが、歌詞原文をちゃんと読めば分かると思うけど、この歌詞での「TVC」とは「テレビのチャンネル」ではなく「テレビ受像機」(TV-set)自体を指している。 全体的には「テレビ中毒」(って古い言い方っすね)の男性のことを、おもしろおかしく歌っており、曲調もアルバム「Station to Station」に収録されている他の曲に比べると格段にユーモラスだ。 ただ、「移行部=transition」における「Transition/Transmission」の繰り返しによる、やけに耳に残るマントラ的な囁きは、それに続くサビ部分の「オマティビシワンファイブ、オオ、ティビシワンファイブ」という鬼気迫るシャウトと共に、

テレビ局は「テレビ番組="TV transmission" or "TV program"」を流し、一般大衆はそれを受信するだけでよい

という旧態依然の腐り切ったクソのような枠組みに対する強烈な怒りと皮肉を感じさせる。この怒りを以下にパラフレーズしてみよう。
放送局から放射される電波に乗せて配信される 「番組」って一体何あれ? 最近のテレビ番組ってほんとクダラナイよね〜って言う人がいるけど それってクダラナクナイ番組が昔はあったってこと? うそでしょ? 特に子供のときに自分が見た番組 うりとらQとか時間だすよとか全員厨房はサイコーだったとか言う奴 バッカじゃねぇの? あのさぁ この世にはクダラナイ番組とクダラナクナイ番組があるんじゃなくて 「電波に乗っける番組」 「舞台に乗っける芝居」 「メディアに乗っけるコンテンツ」 という枠組み自体がもうツマラくね? 一部の人々はもうずいぶん前から テレビ受像機というアプライアンスが持つ 宿命的な一方向性/一斉同報性にとことん飽き飽きしているし いわゆる視聴者参加型番組とかの 取ってつけたような双方向性は嘘っぱちだと 多くの人が見抜いてるんじゃね? それとインターネット上(Youtubeとか)に誰もが 自分で作った番組を流せるようになっただけなのに 「これで誰もが自分自身の放送局を運営できる時代がやってきた!」 とか言うの完全にウソでしょ たとえは悪いけども 新宿歌舞伎町のソープランドとかデリヘル業者にプロスティチュートとして雇ってもらって 店側から一方的にあてがわれた不特定多数の客を相手に性的サービスを提供する行為と 渋谷丸山町でインディペンデントな(=ポン引きを経由しない) 誇り高き「立ちんぼ(street walker)」として自分自身が自ら引っ掛けた不特定多数の客と個別に価格交渉して 双方合意の上で性交する行為とでは 同じ売春行為であっても その行為者が主体的に選び取った自分個人としての独立独歩性が天と地ほども違うんだよ! ただ、その実践において、後者はセキュリティ的に非常にリスキーだ (場合によっては自分の生命さえも危険にさらすことにもなる) だが、そのようなリスクを引き受けることなしには 「自分(=自己)」というものの真の独立独歩性、独自性、独特性、唯一性、かけがえなさ性(=ユニークネス)はあり得ないのではないか? つまり いくらインターネット上の配信であっても Youtubeとかの私企業が提供する枠組みや規制を安易に受け入れて 単に自作の「番組=作品」を公開するだけなら 自分がスクラッチから苦労して作り上げたのではない 自分以外の誰かが用意してくれたタナボタ的なシステムの上に乗っかって 腐った芸を開陳することと何の変わりもないんじゃね?ってこと それって他人が営業している回転寿司のコンベアに (無臭の?)クソを盛った皿乗っけて流す行為とどう違うの?

誰かが回してくれている回転寿司のコンベアに クソを乗っけて流すのは もうやめようじゃないか

自分以外の誰かが、自分の預かり知らぬところでうまいことお膳立てしてくれていることを無批判に受け入れることは、誰かが用意してくれたおいしい話に「乗っかる」ことに等しい。たとえば、なーんも考えずにクルマ(マイカー)に乗っかる、とかね。

Jasmine, I saw you peeping ジャスミン、見てたよ、お前、覗き見してたろ As I pushed my foot down to the floor 僕はアクセルを目一杯踏み込んで I was going round and round the hotel garage ホテルの駐車場の中をぐるんぐるん走り回った Must have been touching close to 94 きっと時速94(キロ?マイル?)近くまでは行ってたはず Oh, but I'm always crashing in the same car あー、だけど、僕っていっつも「同じクルマ」で事故るんだよね。
上記は、ボウイのある曲の歌詞だが、「マイ・カー(my car)」とは言わずに、「同じクルマ(the same car)」という表現を使っているところに斬新さがある。「同じクルマ」とは、同じ車種のクルマのことなのか、それとも「物理的に同一のクルマ」のことなのか。だが、厳密には「物理的にまったく同一のクルマ」はこの世に存在しない。クルマの同一性とは何によって保証されるのか。さらに自己の同一性についてはどうか。

ところで、ボウイに多大な影響を受けたと思われるGary Numanという人には、『Cars』という往年の大ヒット曲があるが、そこでは「my car」が自分の安全を確保するための一種の要塞として歌われている。

Here in my car I feel safest of all I can lock all my doors It's the only way to live in cars. Here in my car I can only receive I can listen to you It keeps me stable for days in cars Here in my car Where the image breaks down Will you visit me please If I open my door in cars Here in my car You know I've started to think About leaving tonight Although nothing seems right in cars.

あまりにも簡略化された歌詞なので見過ごされがちだが、改めて歌詞を読むと、"I can only receive/I can listen to you" とはもしかして「僕は僕の車の中で、君の家に仕掛けた盗聴機から発信される電波を受信するだけ / 僕はそれを通じて君が話すのを聞く」という意味なのではないか?そうすると、続く歌詞は「盗聴を通じて、君の外的なイメージは崩れ落ちていく(例:「この女、とんだあばずれだ」とか)ねえ君、僕が車のドアを開けたら、僕のとこまで来てくれるかい?」と解釈できる。最終的に、「いいことなんか何一つないと感じていながらも、ボクは君の盗聴を続けるために、今夜もマイ・カーで出かけていく」のだ。やれやれ。

また、Queenの『I'm In Love With My Car』って曲も、クルマ好きのオトコの心情を吐露したと思われる、どえりゃあ恥ずかしい歌詞だ。

The machine of a dream, such a clean machine With the pistons a pumpin', and the hubcaps all gleam When I'm holding your wheel All I hear is your gear With my hand on your grease gun Mmm it's like a disease son I'm in love with my car, gotta feel for my automobile Get a grip on my boy racer rollbar Such a thrill when your radials squeal Told my girl I'll have to forget her Rather buy me a new carburettor So she made tracks saying this is the end now Cars don't talk back they're just four wheeled friends now When I'm holding your wheel All I hear is your gear When I'm cruisin' in overdrive Don't have to listen to no run of the mill talk jive I'm in love with my car (love with my car), gotta feel for my automobile I'm in love with my car (love with my car), string back gloves in my automolove
はたまた、ある日本のロックバンドの代表曲には「俺のクルマに乗っかる」ことを「俺のオンナに乗っかる」ことになぞらえた(しかもその俺のクルマにはラジオが搭載されていて、いつもイイ音させてるとかいう)ものすごく恥ずかしい歌詞(あぁ私もう顔真っ赤っす!)の曲がある。さらにダメ押しとして、自分が所有する高速マシンを自慢する歌としては、Deep Purpleの『高速道路の星』を忘れてはならない。

速いクルマに乗っかりたいという心情は、これはピンクフロイドのある曲の一節なのだが、オイシイ汽車に乗っかりたい(riding the gravy train=うまい儲け話に乗る)という卑劣漢の姑息さを連想させる(ロイ・ハーパー、まだ元気かな)。または、事あるごとに既存の権威に「ぶら下がりたい」とか「尻馬に乗りたい」という精神の陋劣さ下劣さを連想させる。

プロバイダが用意したスター型=ツリー型のネットワークに安易にぶら下がることによっては、あなたのマシンは真の人民による人民のための人民のネットワーク社会建設を目指す自主独立型の送受信ステーションとなることは絶対にできない。つか、そのようなことは今後もありえない。

誰もが自分のマシンを来るべき真のネットワーク(=真のP2P接続を可能にするメッシュネットワーク)社会における generative なノードとすることができる環境を現時点でテスト的に提供できるという意味で、IEEE 802.11sという規格には大きな可能性がある。

その実装においては、特定の地域に住み、そこで生活している具体的な人間同士の「物理的な近接性」(physical proximity)がキーワードとなるだろう。

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