ビートルズを翻訳する(3):「汝求むべきは愛」



<擬古文による禅問答風バージョン> 為され得ずして為し得ること無く 歌われ得ずして歌い得ること無し 何事も言うことあたわねど 汝遊戯の規則を学ぶことあたう いと易し 作られ得ずして作り得る物無く 救われ得ずして救い得る人無し 何事も為すことあたわねど 時経ればいかにして汝となるべきやを学ぶことあたう いと易し 汝求むべきは愛 愛をこそ汝求むべし 知られずして知り得ること無く 示されずして見え得ること無し 汝有るべきさだめの所ならずして たまさか有るに過ぎぬような所など無し いと易し 汝求むべきは愛 愛をこそ汝求めん



<現代語による解説付きバージョン> (お前以外の誰によっても)為され得ずして(お前だけが)為し得る何か、は(存在し)ない (お前以外の誰によっても)歌われ得ずして(お前だけが)歌い得る何か、は(存在し)ない (つまり、こういうことだ お前ができることは全てお前以外の誰かがやれるし お前が歌えることは全てお前以外の誰かが歌える 要するに お前が生きているこの前代未聞の大量生産/大量消費社会において お前があえて何かをやる必要など全くないし お前があえて何かを歌う必要も全くない 言い換えると

お前が何もできなくったって、全然平気、他の誰かがやってくれる お前が何も歌えなくったって、大丈夫、他の誰かが歌ってくれる

すなわち 上記の歌詞は "If you can't rock me, somebody will"

「あんたがあたしをロックできないんなら、他の誰かがやってくれる」

あるいは "I'm a substitute for another guy"

「私、とは他の誰かの代理人に他ならない」

または All in all you're just another brick in the wall.

「なんやかんやゆうたかて、 お前は壁に埋め込まれている同じようなブロックの1つに過ぎない」

のような 60 年代後期〜 70 年代半ばまでのロック音楽を代表するグループ (Rolling Stones、The Who、Pink Floyd) の歌詞と同じことを歌っているのだ これらは、煎じ詰めれば、次のように言うのと同じことだ You will hear some know-it-all's saying: したり顔の誰かがこう言うのが聞こえる: You are just one of the cheap goods displayed in a warehouse, in other words: お前は量販店の陳列棚の上に置かれた安売り商品の一つに過ぎない つまり、 "If you are there or if you are not there It's O.K., all is the same, it makes no difference Regardless of your presence/absence The world goes round"

「お前がそこにいてもいなくても 全て同じ、何も変わらない お前の存在 / 不在に関わらず 世界は回る」

===もしかして こういうのを「逝ってよし」とかって言うんじゃないの?(よく知らんけど)=== こんな世界で)
お前が発言できることなど何一つない それでもお前はかろうじて(生きていく上での)ゲームの規則を学ぶことはできる 簡単なことだ (したり顔の誰かが次のように言う ゲームの規則(how to play the game)を学ぶこと、それはそんなに難しいことだろうか?いや、 それは少しも難しいことではない 学校を出て、会社に勤めて、嫌なことがあっても不平も言わずに我慢していれば、 少なくとも生きていくために必要な決まり事くらいは誰でも覚えられるよ なにぃ、学校にも会社にも行きたくないし我慢もしたくないだとぉ?そりゃあ深刻な問題だねぇ) (お前以外の誰によっても)作られ得ずして(お前だけが)作り得る何か、は(存在し)ない (お前以外の誰によっても)救われ得ずして(お前だけが)救い得る誰か、は(存在し)ない (つまり、こういうことだ お前が作れるものなら全てお前以外の誰かが作れるし お前が救える人なら全てお前以外の誰かが救える 要するに

我々が生かされている この前代未聞の大量生産大量消費が基本の資本主義社会において お前が作る必要のあるものは何もなく お前の力でなきゃ救われない人など誰もいない

お前にできるのは せいぜいお前が出した臭っさい糞を匿名で掲示板に塗りたくることだけだ どっかの社長さんも言ってたよ:

「お前馬鹿か? お前にしかできない仕事、なんてぇものは この世にはありゃしないんだよ つまり お前の代わりはいくらでもいるんだよ 要するに お前がそこにいてもいなくても 全て同じ、何も変わらない お前の存在/不在に関わらず 会社は回るんだよ」

こんな世界で)

Nothing you can do, お前が為し得ることなど何一つない But you can learn how to be you in time それでもお前は時間をかけて 「いかにして自分自身となるべきか」 を学ぶことはできる

(上記は、こんな世界であっても 何らかの「救い」の可能性があることを仄めかしている 人は、何一つ為し得ることがなくとも いずれは 「いかにして自分自身となるか」=「自分自身であるにはどうすればよいか」 を学ぶ(learn)ことができる、というワケだ しかし 陳列棚の上に置かれたありふれた商品の1つに過ぎない私が、 他の誰かの単なる代理人でしかない私が、いかにして他の誰とも代替が不可能な私自身になれるのか? オリジナリティの全く無い私が、いかにしてオリジナルな私そのものになれるのか? 「偽の私」が「本当の私(real me)」になる方法などあるのか? ここには禅問答に特有のあきらかな矛盾がある この矛盾はいかにして解決できるのか? この矛盾は解決できない 例えば、誰かが以下のように達観していたとしても、 それは何の解決にもなっていない 「いかにして自分自身になるか」を学ぶこと、それはそんなに難しいことだろうか?いや、 それは少しも難しいことではない、まぁ、一種のやぶれかぶれの開き直りだね、 大抵世の中に出て、自分より能力も品位も格段に高い他人に出会いさえすれば、 自分は結局自分でしかなく他の誰にもなれないんだと悟るよ なにぃ?私はこれまでそんな人に出会ったことがないだとぉ?そりゃあ深刻な問題だねぇ あるいはコピーの開き直り あぁ、あたしゃコピーですよ 一生かかってもオリジナルにはなれませんよ でも、それがどうしたって言うんです? 人格なんて一つじゃなくて良いんですよ いくつでもその場に応じて使い分けられるもの それが人格なんですよ 「本当の私(real me)」なんてどこにもないんですよ アイデンティティなんて崩壊するにまかせてれば良いんですよ という詭弁を弄する人もいる だが、そんな人でも 自分の所有しているクレジットカードのアイデンティティ(ID) を統御するシステムの一貫性が崩壊したら とっても困るのではないだろうか それとも この世の中には 崩壊しても良いアイデンティティと 崩壊したら困るアイデンティティがあるのだろうか この矛盾は解決できない 問題はそれほど簡単じゃない だから次のように言われても 僕は全然納得できない) 簡単なことだ お前に必要なのは愛だ (ストーンズがコンサートで歌った "I'm free" という曲の歌詞が あまりにも楽天的すぎるとの理由で 観客が騒ぎ出し コンサートが中断されたことがあったような気がする この場合 観客は コンサート中に 騒ぎを起こすことで その曲の歌い手や演奏者に対して 即座に応答を返したのだ ビートルズのこの曲がテレビで世界中に流れても どこでも暴動はおこらなかったらしい だがその何年か後 この曲の作者であり歌唱者である一人の人間が その人物の熱烈なファンを自称する男によって 銃で撃たれて殺されたのを知っているか? あの事件は 偶然の出来事などではなく 何年もかかって溜まりに溜まった スター羨望が引き起こした 観客から歌い手への 一種の「応答」ではなかったのか 歴史的な必然性のある 復讐行為ではなかったのか このことだけは 覚えていた方がいい) (お前以外の誰にとっても)知られずして(お前だけが)知り得る何か、は(存在し)ない (お前以外の誰にとっても)示されずして(お前だけに)見える何か、は(存在し)ない (つまり お前が知りえるものごとは全てお前以外の誰かにとって知られていることだし お前に見えるものは全てお前以外の誰かにとって示されているものだ これと似たようなロックの歌詞としては、例えば次のものがある There's no more time for us Nothing is there for us to share But yesterdays (B. Ferry)

もはや我々にとって「時間」は存在しない 我々が共有すべきもの それは過去以外には何もない

No new event will never happen no more All the things we can see are rehashes of what happened before What we had called a "tragedy" Is a hand-me-down "farce" today (Onitsuka K. Koichi)

もはや新しい出来事は何も起こらず 全ては既に起こった物事の焼き直しであり 嘗ては悲劇であった物事も今や 二番煎じの 茶番劇だ

Someone said "I heard the news today" So I said "Oh boy, it's a same old blues again" (J.J. Cale + Onitsuka K. Koichi)

誰かが言った「今日ニュースを聞いたよ」 だから俺は言ってやった 「おっと、そいつぁまた古くさいおなじみのブルースだね」

このようなタイプの「歴史の終わり」の表明はブルースや ロック音楽の歌詞のいたるところに観察されるものだが、 以下の一文だけは何やら異質だ)

Nowhere you can be that isn't where you're meant to be.

上記の文は、本歌詞の中で最も解釈が難しいが、 ここでは、 運命(destiny)や宿命(fate)といったものに対する 仄めかしが行われているものとして解釈し 以下のように訳した

お前が本来存在すべき所ではなく たまたまお前が存在しているに過ぎない所 などは存在しない

この一文で言及されているのは以下のようなことではないか: (お前は自分が今居るこの世界は 自分が本来居るべき場所ではないと思っている お前は、自分が今存在している世界とは別の世界にも存在し得たはずだ と考えている この場合、世界内存在者同士の代替可能性が前提とされている すなわち、

お前は「世界」と「自己」との関係を 「借家」と「間借人」の関係としてしか理解していない

「世界」とは既に建築され借り手を待っている「借家」であり 自分はたまたまそこを金で借りて住んでいるだけの「間借人」だと言うわけだ 「世界」とは自分がそこにいてもいなくても どうでもいい 自分の外側にある「箱」であり どっちにしたって箱の状態は同じ お前がいようがいまいが何も変わらない お前が存在しているかいないかに関わらず 世界は回り続ける お前はそう思っている そして 自分は「世界」の単なる間借人でしかないから 世界のどこで何が起ころうとも 「自分に一切責任はない」と思っている しかし、悲しいかな そのような素朴な世界認識はどうやら大きな間違いだということが 次第に明らかになってきている(らしい) 例えば、各国が大量生産大量消費を長い間続けた結果 今やもう地球は死に瀕している(らしい) News had just come over, we had five years left to cry in News guy wept and told us, Earth was really dying (D. Bowie) ニュース・ガイが我々に泣きながらしゃべった話によると いくら泣いても、あと5年で地球は終わりらしい (というのは冗談で 地球の寿命はもうちょっと長くは保つらしい だが いずれにしろもう手遅れであることには間違いない) そんな余命いくばくかの 地球上で起きている数々の悲惨な出来事 その根本的な原因をお前は考えたことがあるか Children round the world, put camel shit on the walls They're making carpets on treadmills, or garbage sorting (D. Bowie) この今も 地球のどこかでは 駱駝の糞を壁に塗りつけている 子供達がいる 彼らには 足踏みベルト式の道具を使って絨毯を織るか ゴミの選別ぐらいしかやることがない

この世界は、なんと不公平なのだろう だが、これが現実だ これがゲームだとしたら、そんなゲームは無効だ!

卑近な例を挙げよう 198x 年、和歌山県で起きた悲惨な出来事 198x 年、神奈川県で起きた悲惨な出来事 198x 年、埼玉県で起きた悲惨な出来事 198x 年、宮崎県で起きた悲惨な出来事 お前が住んでいるマンションの隣の部屋で起きた悲惨な出来事 お前が住んでいるマンションの近所で起きた悲惨な出来事 お前が住んでいる隣街で起きた悲惨な出来事 その根本的な原因は何なのか お前は考えたことがあるか それともお前は何の根拠もなく 「最近はこの辺も物騒になったね」 の一言で済ますのか その責任の一端は確実にお前にもある ある時、お前は他者が出しているシグナルを無視した ある時、お前は他者へのきちんとした応答をさぼった お前は「他者」など存在しないかのように振る舞った すなわち、お前は他者に対して応答すべき責任を回避した そのツケが 今、回ってきているのだ いたるところで この世界に「救い」はないのだろうか? 「お前が本来存在すべき所(場所)ではなく、 たまたまお前が存在しているに過ぎないどこかの場所 などは存在しない」 これは以下のことを意味する:

お前が存在している世界とは お前が存在しない限り後にも先にも存在しなかった世界であり その世界こそが、お前のためだけに用意された唯一の世界なのだ

お前は生まれるべくして「この世界」に生まれ落ちた そしてお前は「この世界」の中で何とか生きて行くしかない お前の逃げ場はどこにもない 自分が生まれ落ちた「この世界」で生きて行くこと それはそんなに難しいことだろうか? いや それは少しも難しいことではない)
簡単なことだ お前に必要なのは愛だ お前に必要なのは愛だ お前が(どうしても) 必要とする(「無」[=nothing]ではない何らかの) もの([=something] がもしあるとするならばそれ) は「愛」だ 愛がお前には足りないのだ

訳詞解説: "There is nothing you can do that can't be done" という奇妙な文は、"There is something you can do that can't be done by anyone else but you(あなた以外の誰にもできない、あなたにしかできない何かがある)"を単純否定した文である "There isn't something you can do that can't be done by anyone else but you(あなた以外の誰にもできない、あなたにしかできないこと、などは存在しない)" から発想されたものではないか

"All you need is love" という「とっても分かりやすい」フレーズをサビに持ってきた反面、サビ以外の節(verse)の歌詞はこれでなかなか解釈が難しい。ただ、この歌詞の作詞者が言葉遊びをやっているのは誰でも分かるはずだ。誰の目にも明らかだが、この歌詞に含まれている多くの文は、1番の最初の一文である、 "There is nothing you can do that can't be done" がベースになっている。

"There is nothing you can do that can't be done" という、この一種「禅問答」風に謎めいた奇妙な英文の面白さは、"nothing you can do" という節に含まれている隠れた関係代名詞で修飾されている "nothing"(この場合の "nothing" は一般名詞としての目的語となる)という先行詞が、後続する明示的な関係代名詞 "that" を含む節 "that can't be done" によっても更に修飾されている(しかもこの場合の "nothing" は代名詞としての主語となる)という常軌を逸した "nothing" の使用法にある。もし先行詞が "nothing" ではなく "something" であったならば、話は簡単になる。 ここで試しに、以下のオリジナルの文を変形してみる。


There is nothing you can do that can't be done

上記の文の "nothing" を "something" に入れ換え、さらに文末に "by anyone else but you" を挿入してみよう。

There is something you can do that can't be done by anyone else but you

この文は以下の 2 つの文に分解できる。

文 1 : There is something you can do
文 2 : something can't be done by anyone else but you

これを翻訳すると次のようになる。

文 1 : あなたが為すことができる something が存在する
文 2 : その something は、あなた以外の誰かによっては為され得ない

論理的に分析すると、"you can do"(「あなたが為し得る」)という条件と "can't be done by anyone else but you" (「あなた以外の誰によっても為され得ない」)という条件が論理積(「AND」)で繋がれて先行詞 "something" に掛かっていることになるから、元の文の訳は「あなたが為し得る、あなた以外の誰によっても為され得ない something が存在する」でも良いような気がするが、このような場合、どうやら that 節以下を先に訳す方がより英文のニュアンスに近いようだ。従って、元の文は以下のように訳すことができる。

あなた以外の誰によっても為され得ない、あなたが為し得る something が存在する。

"something" を「何事か」と訳し、文意を強調するために「だけ」という日本語を補えば、日本語訳としては以下のようになる。

あなた以外の誰によっても為され得ない、あなただけが為し得る何事かが存在する。

この日本文を見て思いついたのだが、もしかして、"there is nothing you can do that can't be done" というフレーズは、上記の文を単純否定した文である:

There isn't something you can do that can't be done by anyone else but you

あなた以外の誰によっても為され得ない、あなただけが為し得る何か、などは存在しない。

という非常に現代的でドライな人生観を表明した文から発想されたものではないだろうか。すなわち、 まずは以下のような「毒のある」主張が存在したのではないか。

There isn't something you can do that can't be done by anyone else but you
There isn't something you can sing that can't be sung by anyone else but you
There isn't something you can make that can't be made by anyone else but you
There isn't someone you can save who can't be saved by anyone else but you
There isn't something you can know that isn't known to anyone else but you
There isn't something you can see that isn't shown to anyone else but you

It means:

All the things you can do can be done by someone else but you 
All the things you can sing can be sung by someone else but you 
All the things you can make can be made by someone else but you 
All the pepele you can save can be saved by someone else but you 
All the things you can know are known to someone else but you 
All the things you can see are shown to someone else but you 

In short:

If you are there or if you are not there 
it's O.K., all is the same, it makes no difference
Regardless of your existence 
The world goes round

これを訳すと以下のようになる。

お前以外の誰によっても為され得ず、お前だけが為し得る何か、は存在しない
お前以外の誰によっても歌われ得ず、お前だけが歌い得る何か、は存在しない
お前以外の誰によっても作られ得ず、お前だけが作り得る何か、は存在しない
お前以外の誰によっても救われ得ず、お前だけが救い得る誰か、は存在しない
お前以外の誰にとっても知られておらず、お前だけが知り得る何か、は存在しない
お前以外の誰にとっても示されておらず、お前だけに見える何か、は存在しない

つまり、

お前ができることは全てお前以外の誰かがやれるし
お前が歌えることは全てお前以外の誰かが歌えるし
お前が作れるものなら全てお前以外の誰かが作れるし
お前が救える人なら全てお前以外の誰かが救えるし
お前が知りえるものごとは全てお前以外の誰かにとって知られていることだし
お前に見えるものは全てお前以外の誰かに示されているものだけだ

要するに、

お前がそこにいてもいなくても
大丈夫、全て同じ、何も変わらない
お前の存在に関わらず
世界は回る

上記の主張は、例えば会社の社長が自社の社員に馘首を言い渡す際に言う台詞、「君の代わりはいくらでもいるんだよ」の論理的根拠でもある。またこれは、大量消費社会に生きる人間なら誰もが漠然と抱くであろう不安を「えーと、それって要するにこういうことでしょ」的に指摘したものであり、空気を読めない(って言うんでしたっけ最近は)人間による「あっ、言っちゃった」発言に似た機知を含む主張のようにも思える。

面白いのは、このような主張を発話する行為自体に一種の「経済性」(ないし簡便性)が認められることだ。「つまり(It means)」、「要するに(In short)」、「言い換えれば(in other words)」など、これらの慣用句はいずれも前文が後文に交換可能であることを示す場合に使われるのであり、これらの慣用句を含む発話を実施すること自体が正に経済的な簡便化・簡略化行為の一つに他ならない。意識的かつ強引な簡便化・簡略化を含む経済的発話は「笑い」を産む場合がある。

実際、このような意識的に「身も蓋もない」あっけらかんとした主張は、ビートルズと同時代のロック音楽の歌詞である「私、とは他の誰かの代理人に他ならない」("I'm a substitute for another guy" by the Who)や、「あんたがあたしを rock できないなら、他の誰かがやってくれる」("if you can't rock me, somebody will" by the Rolling Stones)や、「いずれにせよ、お前は壁に埋め込まれている同じようなブロックの1つに過ぎない」("All in all you're just another brick in the wall" by Pink Floyd)にも共通する。お望みなら、これに多くのパンク〜ニューウェイブの歌詞を加えることもできる。

これら 60 年代〜70年代までのロック音楽の歌詞を貫く思想の特徴として、「オリジナル中心主義の否定〜コピー礼賛またはプラスティック礼賛(代理/代替/補填/複製性の賞揚)」のアイロニカルな表明が挙げられる。例えば、ビートルズには『Rubber Soul』というアルバムがあるが、このタイトルは昔からあった表現である『Plastic Soul』(白人が黒人の物真似で演奏する「いんちきソウル・ミュージック」の意)のちょっとした言い換えであることにも注意されたい。うーん、この辺り、もっと深く突っ込んだ考察が必要になるため、稿を改めて論ずることにしたい。

さて、話を戻すと、上記のような「それを言っちゃあお終いよ」的な主張をもうちょいモデレートするために、これらの文から "by anyone else but you" をばっさりと取っ払い、さらに "isn't something" を思い切って "is nothing" に変えちゃった結果、"there is nothing you can do that can't be done" という多義的で謎めいた文が生まれたのではないか、というのが私の推理である。すなわち、以下の文がまずあって:


There isn't something you can do that can't be done by anyone else but you

この文の "isn't something" を "is nothing" に変え、

There is nothing you can do that can't be done by anyone else but you

ここから末尾の "by anyone else but you" を取っ払った結果できたのが、

There is nothing you can do that can't be done

という文なのではないだろうか。

ホームへ戻る