私が行った小学生への読み聞かせボランティア


■ 2007年度 / □ 2008年度

第 1 回: これはのみのぴこ

谷川俊太郎・作/和田誠・絵/発行所: 株式会社サンリード/1979 年

記念すべき第1回目は、散々悩んだ末に、この本を選びました。まー、やる前はそりゃぁ緊張しまっくたわよ〜。子供達の前で朗読するなんてのは生まれて初めての経験なんで、そりゃーもう、一体どういうスタイルで読めばいいのかしら〜って散々悩みました。一時はリズムボックス(4/4拍子)をバックにラップ調で読んだら良いんじゃないかと思って、そのデモを録音して家族に聴かせたところ、うちの子供は喜んだけど嫁から「怪しすぎる!」って駄目出しされちゃったんで、結局それはあきらめたわ。NHK の『テレビ絵本』で作者の谷川俊太郎御本人がこの詩を朗読するのを聴いたことがあったんで、早口とゆったり口調を混ぜればアクセントがついて面白い、とは思ってたけど、何しろ初めてだから、実際子供達を目の前にしたらそんな余裕なくて、とにかくもう早口になって、多分3分くらいで全部の詩を読み切っちゃたわね〜。子供達の反応は「ややウケ」だったわ〜。でも、1人だけ「もう1回読んで!」ていう子がいて、オジサン思わず泣けてきたわよ〜。ホントはもう1回読みたかったけどそれは無理。だって次に読む人控えてるしさ〜(読み聞かせの時間は朝 8:30 開始で、読み手は2人1組み、持ち時間は1人5分で、8:40 分には読み聞かせ終了、というのが決まりなのです)。持ち時間が1人5分てのはやっぱ凄いプレッシャーで、せめて1人当たり10分は時間欲しいわ〜っていうのが初回を終わっての実感でした。内容的には、この詩はマザー・グースの『これはジャックの建てた家』("This is the house that Jack built")の本歌取り(パロディ)です。ちょっと遊びで一部以下に英訳してみました(全訳あり)。

This is Pico the flea. This is Go-emon the cat, on whose body Pico the flea lives. This is Akira, who trod the tail of Go-emon the cat, on whose body Pico the flea lives. This is Akira's mother, who is reading the manga magazine owned by Akira, who trod the tail of Go-emon the cat, on whose body Pico the flea lives.



第 2 回: パンはころころ

マーシャ ブラウン 著/八木田 宜子 訳/発行所: 冨山房/〔新装版〕 (1994/03)

2回目なのでちょっとココロに余裕はできたのですが、やはり5分で読み切れる本でかつ面白い(読んで子供らにウケる、笑いを取れる)本を見つけるのって超難しいですよ〜。またもや散々悩んだ挙げ句、最終的に、茅ヶ崎市立図書館にあったこの本にたどり着きました。この本と全く同じ話(ロシア民話)を絵本化したものとしては、往年の『おだんごぱん』(瀬田貞二訳 /脇田和絵、福音館書店刊、初版1966年)という有名なバージョンがあるのですが、それを同じく茅ヶ崎市立図書館から借りてきて読み比べたところ、どっちかっつーと七五調を前面に押し出した本書の方がリズミカルで耳障りが良いかなってんで、こっちを選択しました。

最初は当時まだかろうじて人口に膾炙していた「武勇伝、武勇伝、ぶゆうでんでんででんでん、Let's go!」というフレーズを真似た口調で読もうと思ってかなり練習したのですが、いろいろ考えた結果、あまり奇をてらわずに、単なる疑似「講談調」みたいな感じで読むことにしました。例えば、「パンくんあんたは、おれのもの」という文を、「♪♪♪♪♪♪♪、♪♪♪♪♪」みたいな七五調リズムで読むわけですね。子供達の反応は、前回と同じく「ややウケ」でした。

話の筋は、おばあさんがこねたパン(っていっても酵母なし)を焼くときに、「パンをひっくり返す」ではなく、「パンがひっくりかえる」と言ったばっかりに、パンが本来持たなくても良いはずの主語性=主体性(subjectivity)ないし自意識(self-consciousness)を持つに至り、食べられるのはやなこったと、窓から逃げ出した後、いろんな動物に食べられそうになりながらも逃げ続けたけど、最後に狐に煽てられ自意識をくすぐられた結果... ってゆうシュールな話です。なお、この本の原著者(絵も)は、かの有名な『3匹のやぎのがらがらどん』のそれと同じ人です。




第 3 回: ガラスめだまときんのつののヤギ: 白ロシア民話

田中かな子 訳/スズキコージ 画/発行所: 福音館書店/1988/5/31 初版/英語タイトル: A Billy Goat with Glass Eyes and Gold Horns - Belorussian Folk-tail

これも NHK の『テレビ絵本』で放送されたものです。その番組を見たときに、スズキコージによるコラージュが素晴らしく色鮮やかで、とても印象に残っていたので、この本を選びました(本そのものはアマゾンのマーケットプレイスから購入)。おばあさんの麦畑に乱暴者のヤギが入ってきて、畑を荒らしますが、おばあさんが出てけと怒鳴ってもヤギは出ていかず、熊が出てけと言っても出ていかず、狼が出てけと言っても出ていかず、狐が、兎が、...と続く話です。

『3匹のやぎのがらがらどん』もそうだけど、ヨーロッパの方ではヤギは乱暴な意地の悪い動物で通っているのかしら?日本だとヤギは童謡とかで「(アホだけど)いい人」の扱いを受けてますわな、『めぇ、めぇ、森の子山羊〜』とか『白山羊さんからお手紙着いた〜』とかね。この差は、西洋では山羊が昔から生け贄として使われていたことと関係ありそうね〜。

さて、この話では、義侠心を出した熊がおばあさんのためにヤギを追い払おうとするのですが、逆にヤギから「なまいきいうない、もじゃげのクマめ、おいらにゃ、ガラスめだまときんのつのがある、ひとつきすれば、いちころさ!」とすごまれた途端、熊はさっさと逃げ帰ってしまいます。その「クマはびっくりして、にげていってしまった」という文の直後に、「クマ、弱っ!」という合いの手(原文にはない)を入れて読んだところ、子供達に超ウケました。その後も「狼、弱っ!」「狐、弱っ!」「兎、弱っ!」で、きっちり笑いを取りました。やっぱりウケるのって快感よね〜。お笑い芸人の気持ち、よ〜く分かるわ。ただ今回もちょっと早口になったので反省。やっぱり1人 5 分では時間が足りないわ〜。

帰りしなに、今回一緒に読み聞かせをしたママから、「あの、『弱っ!』てところ、みんなウケてましたけど、絵本にもともと書いてあったんですか?」と聞かれたので、「いいえ〜、私のアドリブです〜」と答えました。

ところで、自分がこれまで選んだ3冊の絵本の傾向がすべて同じであることに気付きました。どの話も全て繰り返しなのですね。




第 4 回: じごくのそうべえ

作・田島征彦、桂米朝・上方落語・地獄八景より/発行所: 童心社

ペアを組む人が都合で来られなくなったため、念願叶って1人10分の時間を貰いました。さー、何を読もうかな〜、って実はもう決まっていて、この本は読み聞かせをやると決まったときに購入し、前々から練習を重ねていたのでした。

この本の文章は田島征彦さんが桂米朝師匠の噺『地獄八景亡者戯』を元に構成したものなので、読み方を勉強するには、本来なら米朝さんのテープ(DVD もある!)を聴くのが筋なのですが、米朝さんの弟子である桂枝雀さんが『地獄八景亡者戯』を演っている DVD(『枝雀落語大全: 第十集』)があったので、枝雀ファンの私としてはそっちを購入しました。

余談: 私は高校生の時に宮崎県立博物館ホール(だったかな?キャパ 200 人程度の小さいホール)で枝雀さんの高座を生で見たことがあって、その時、噺の最中に彼と一瞬眼が合いました。枝雀さんはお客の誰とでも目が合ったら数秒間は逸らさないのだと思うのだけど、私も枝雀さんから face to face で数秒間見据えられ、腹の底の底まで見透かされた気になったのデシタ。それ以来、私は枝雀ファンなのデス。だけど、枝雀さんの主張した「笑い」理論には同意しかねる部分もあったりするのね。「人はなぜ笑うのか?」という疑問に関して枝雀さんが提示した答えの一つが「緊張の緩和」だったと思うのだけれど、「緊張の緩和」だけでは、例えば「モノマネ」でなぜ人がああも笑うのかをうまく説明できないと思う。これは私見デスが、「笑い」は「経済(性)」と分かち難く絡み合っているように思う。若い時期に試みた「人間はなぜ笑うのか?」という問題の解明に挫折したこと(彼ほどの卓越した知性を以てしても論理的追求が甘く、結局はその解明が「落語」という狭い分野の研究に留まってしまい、哲学的な論理構築が不十分・不徹底に終わったこと)が、その後死ぬまで彼を悩ませたのではないかとも思う。「笑いを知り尽くした者」は笑うことができなくなる、ていうか「あぁ、これで私は笑いを知り尽くした!」と感じちゃった人は自分にも他人にも(そんなツマランことで)「笑うな!」と命令できる立場に立っちゃうワケじゃない?それって「誰からも笑われない立場」に他ならぬ自分が立つ、ってことでしょ?だから、「笑うな!」と言う人は、笑うところじゃないところで笑われることを非常に恐れるのではないかしら〜。これまで誰も成功したことのない『笑いの研究』を自分自身の手によって完成させたいという欲望を持つこと(そしてその欲望の充足に失敗すること)、これって万能感の持ち主(男性とは限らない)が陥りがちなトラップ、ていうか主に男性が罹患する「死に至る病」なんじゃないのかしら、って気もするわ〜。枝雀さんには、サラ・コフマン『人はなぜ笑うのか: フロイトと機知』(人文書院、1998年)を生きている間に是非とも読んで欲しかったわ〜。それで何かが解決するワケじゃないんだけどさ〜。

この DVD、前後編通して聴くとそりゃあもう聞き応え十分です。地獄キャラの1人である「しょうづかの婆さん」のくだりは多分枝雀さんの完全なオリジナルだと思うのですが、体内巡りのくだりや、地獄の鬼に向かって「そんな大きなホークみたいなもんで、おけつ突きなはんな」とか言うところは、『そうべえ』でも枝雀バージョンでも一緒だったりします。

私の大阪弁はかなりインチキなのですが、この本で何回も練習したので、何となくそれっぽくはなってきました。人呑鬼(じんどんき)の笑い方「あっはっは」は、枝雀さんの口調を真似しました。さて、読み聞かせ当日、よかった〜、ウケました。やっぱり、一番受けたのが「糞尿地獄」と「おならぶぅ」ですけどね。担任の先生からもお褒めの言葉を頂きました。先生曰く、「ま、この話は誰が読んでもウケるんですけどね」だって。




第 5 回: ちからたろう


読み聞かせも5回目になると、だんだん「もっと上手に読みたい!もっとウケたい!」という欲が出てきます。今回は、登場人物達(おじいさん、おばあさん、ちからたろう、いしこたろう、みどっこたろう、庄屋、庄屋の娘など)の台詞を全部、インチキ栃木弁で読んでみました。以前『笑点』に出てた栃木弁の若手漫才コンビ(名前失念、即検索、見つかりました、『U字工事』だって)がしゃべっていた台詞(ツッコミ「おめぇ〜貧乏ゆすり、すんなってぇ〜(語尾上がり)」、ボケ「違わぁ〜、おらぁエイトビートきざんでんだぁ〜(語尾上がり)」)のイントネーションが耳に残っていたので、それを真似してみました。これがぁ〜、とってもぉ〜、評判、いかったんだべ〜(語尾上がり)。マギー司郎さん(は茨城弁か)にも似てるけどね。

この本は私にとって非常に思い入れのある本であり、私が幼稚園の年長の時(1967 年!)に初刷りが出た本です。当時暗記するほど繰り返し読んだので、よーく覚えています。今江祥智さんの名調子も心地良いのですが、なんと言っても当時は、この田島征三さんの独特の画風に魅了されました。奥付を見たところ、1993 年になぜか「改訂 2 刷」が出ていて、ん?と思ったら、今江さんのあとがきに「小学校の教科書に採用されることになった時点で文章を書き改めた」とありました。確かに、旧版では『ちからたろうは、まんまはわしわしとようくった』という文言があったと記憶していたのですが、改訂版にはそれが見あたりません。

因みに、本書と同じ、今江祥智と田島征三のコンビの最新刊は、なんと『ひげがあろうがなかろうが』(解放出版社/2008年刊)なのですね〜。同コンビによる問題作『ひげのあるおやじたち』(「部落差別を助長する箇所がある」との指摘を受けて、発刊後すぐに自主的に絶版となった作品)を小学生の時に読んで衝撃を受けたことのあるアタシとしては、思わず買ってしまいました。




第 6 回: あさ


谷川さんと写真家の吉村和敏さんのコラボ。これまでと違って本格的な「詩」の朗読だからさ、子供達の半分は「ポカン顔」だったわ〜。ま〜、でも朝一番の読み聞かせにはぴったしの詩ですよ〜。しかしこの本、写真集としてはサイズが小さすぎてホントにかわいそうよ〜、もっと大きいサイズで出版して欲しかったわよね〜。これも遊びで英訳してみました(全訳あり)。

It's the sky who wakes up earlier than anyone 'Cause the night is so shy it turns red when touched by the Sun's hand All the dream children going back to their dreamland Everybody's waiting with holding their breaths The earth is turning around Slowly and so silently Listen to the subtle sounds before the first "Good morning" is said



第 7 回: こんとあき


キツネのぬいぐるみである「こん」の声を、腹話術の人形風の声で読んでみました。これが意外に子供達からは超ウケました〜。




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